大阪地方裁判所 平成9年(ワ)4225号 判決 1998年5月28日
原告
伊藤勇司
右訴訟代理人弁護士
原田裕彦
被告
日動火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
江頭郁生
右訴訟代理人弁護士
中嶋邦明
同
平尾宏紀
同
井上楸子
主文
一 被告は原告に対し、金九〇〇万円及び内金八一〇万円に対する平成八年一二月二七日から、内金九〇万円に対する平成九年五月一五日から各支払済みまで年六分の割合による各金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告の、その余を原告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は原告に対し、金九六八万八五〇〇円及び内金八一〇万円に対する平成八年一二月二七日から、内金一五八万八五〇〇円に対する平成九年五月一五日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 争いのない事実
1 被告は損害保険事業を目的とする株式会社である。
2 原告は平成八年七月三〇日、自家用普通自動車(なにわ××も○○○○(以下「本件車両」という。))を有限会社YTCオートから代金三六五万円(うち車体価格三二八万円)で購入した。
3 原告は平成八年八月九日、被告の保険代理店である栄宏自動車を訪れ、以下の内容の保険契約の申込を行い、被告がこれに承諾し、原告は被告との間で、原告を保険契約者、被告を保険者として以下の内容の保険契約(以下「本件保険契約」という。)が成立した。
保険契約日 平成八年八月九日
保険期間 右同日午後四時から平成九年八月九日午後四時まで
保険料 五二万七五七〇円(内車両保険分四〇万六二二〇円)
種類 自家用自動車総合保険
被保険自動車 なにわ××も○○○○
用途車種 自家用普通乗用車(家庭用)
車両保険の協定保険価額 八〇〇万円(車両部分七〇〇万円、附属品部分一〇〇万円)
証券番号 八四七八六五四一
右契約では、被保険自動車の用途及び種類が自家用自動車である場合、保険契約締結時の「自動車保険車両標準価格表」(以下「標準価格表」という。)に記載された被保険自動車と同様の自動車の価格が協定保険価額とされ、盗難事故時には協定保険価額が支払われることになっている。本件車両の標準価格表による価格は五八五万円ないし七五〇万円である。
また、被保険自動車が盗難事故で使用不能となり、保険契約者がその盗難の事実を警察に届け出た場合、届け出の日から保険金支払日までの日数に対し、最初の三日間を控除し、且つ三〇日を限度として一日当たり三〇〇〇円の代車等費用の保険金が支払われることになっている。
加えて、被保険自動車が全損になった場合、保険金額の五パーセントに相当する金額の臨時費用保険金が一〇万円を限度として支払われることになっており、右請求権は保険事故発生時に生じる。
4 平成八年一二月二六日、原告は本件車両が盗難に遭った旨を所轄の警察署に届け出るとともに被告に対して、車両保険金を請求した。
二 争点
1 本件車両の購入価格が本件保険契約において、告知義務の対象となる事実であるか否か。
2 本件車両の購入価額は三六五万円(うち車体価格三二八万円)であるのに、保険金額は八〇〇万円と設定され、本件保険契約は保険制度の趣旨を逸脱するものとして、公序良俗に反し無効であるか否か。
3 本件保険契約上の保険価額は保険車両の保険事故発生時の価格である三〇〇万円であり、これを超過する保険金額の定めは少なくともその超過する限度で保険契約は無効であるか否か。
三 争点に1に対する主張
(原告)
そもそも告知義務の対象なる事実は、危険測定上の重要事項であり、車両の購入価格は危険測定に関係しない事実である。すなわち購入価格と事故発生の間に因果関係があるとは考えがたいから、保険事故の発生率すなわち危険測定に重要な事実でない。
自家用自動車総合保険普通保険約款(以下「本件約款」という。)において、告知義務が課せられる事実は、保険申込書の記載事項であり、被保険車両の購入価額は保険申込書の記載事項とされておらず、告知義務の対象とはならない事実である。
というのは、何が危険測定上重要な事項であるかを正確に判断することは保険の技術について専門的知識を持たない保険契約者側には困難であり、また、保険会社は保険事業の専門家であるから、何が重要な事項であるかについては精通しており、保険契約の締結の際に全ての重要事項について質問することが可能である。そして、保険会社が数個の事項については質問したが、他の一定事項については質問しなかったときは、たとえ質問しなかった事項の中に重要事項があったとしても、告知義務者としては保険会社が質問しなかった事項は重要な事項でないと考えるのが通常であるからである。
そこで、告知事項を保険申込書の記載事項に限定したのが、本件約款一般条項三条であるところ、車両購入金額は本件保険申込書の記載事項でないから、告知事項でない。
さらに、本件車両は自家用普通自動車であるので、本件では、車両価額協定保険特約が自動的に付帯される。同特約において、告知義務の範囲を右一般条項三条よりさらに限定し、「保険会社が照会した事項」に限定しており、本件車両の購入価格は被告から照会を受けていない。
(被告)
保険契約者等に対して告知義務が課せられる事実は「保険申込書の記載事項について知っている事実」であり、保険金額は保険申込書の記載事項であるところ、車両価額協定保険特約により、保険契約締結の時における被保険自動車と同一の用途・車種・車名・型式・仕様・初年度登録年月日の自動車の市場販売価格相当額を被保険自動車の価額として協定し、その価額を保険金額と定めるとしている。結局、被保険自動車の市場価格すなわち購入価格は保険金額について知っている事実というべく、告知義務の対象となる事実である。
四 争点2に対する主張
(原告)
被告の主張は本件車両の購入金額以上の保険金額が本件保険契約において設定されたことをもって、公序良俗違反であると主張しているが、損害保険契約において、保険目的物に損害が生じた場合の保険価額は右目的物の実損額と必ずしも一致するものでない。例えば、中古の建物に火災保険事故が発生した場合、実損額が填補されるだけでなく、再調達価額を保険金として支払う旨を定める保険(新価保険)がある。本件保険契約においては、保険価額を被保険自動車と同一の用途・車種・車名・型式・仕様・初年度登録年月日の自動車の市場販売価格相当額すなわち標準価格表に記載された価格とする旨の特約があるから、保険金と保険価額は一致し、そこに被告が主張するような投機性はない。それは、盗難などの全損事故の場合に被保険車両と同一の車両を市場から再調達しようとすれば保険価額相当の出捐を余儀なくされるからである。
(被告)
そもそも保険制度は危険の分散をその本旨とするものであり、保険事故の発生によって生じる損害の填補をその主たる目的とするものである。すなわち同制度は保険事故の発生という偶発的なできごとを契機として財産の増加を企図する投機的な性格を有するものではなく、かえってその本旨とする危険分散の適正な実現の見地から右のような投機的性格を排除しようとするものである。
ところで、本件保険契約においては、その目的価額が三三〇万円程度であるのに、保険金額はその二倍を超過する八〇〇万円と設定されており、右は強度の投機的性格を有するものであり、本件保険契約は保険制度の趣旨を著しく逸脱するものであって、全体として公序良俗に反して無効である。
五 争点3についての主張
(原告)
中古自動車の保険価額については、モデルチェンジ、新車価格の変更又は人気の有無、使用保存状態によって取引価格が大きく変わるという特殊性があるため、保険事故発生時において、自動車の保険価額の評価を巡って保険者と被保険者との間でトラブルが発生することが少なくない。そこで、車両価額協定保険特約を設け、保険価額は中古車市場における標準的な販売価格を調査して保険者が作成する標準価格表に基づいて協定され、この特約が適用される車両保険においては、保険金額と保険価額が常に一致し、超過保険や一部保険は問題とならない。
(被告)
車両価額協定保険特約は被保険自動車が標準的な市場販売価格を容易に求めることができる自家用自動車等であることから、保険契約締結時の査定等の煩雑を回避するために、右自家用自動車等の車両保険に付帯することとしたものであるから、右標準的な市場販売価格を保険価額として協定することとしたものである。従って、そこにいう協定保険価額はあくまで協定による保険価額であり、被保険自動車の保険事故発生時の価格が標準的な市場販売価格とほぼ等しいという前提のもとでのみ意味を有するものである。すなわち、保険金額と保険価額が一致しない場合も存在し、このような場合損害保険制度の原則に従い、被保険自動車の保険事故発生時の価格そのものが保険価額となり、これを超過する保険金額の定めは少なくともその超過の限度で無効を招来する。このことは車両価額協定特約三条に被保険自動車の価格の増加または減少の場合には協定保険価額変更を定めていることからも明らかである。
本件車両の保険事故発生時の価格については明白でないが、本件車両は平成八年七月末、売買代金三六五万円(うち車両価格三二八万円)で購入されたものであるところ、本件車両の保険事故発生時の価格は特段の事情なき限り右売買価格と同程度かこれを下回るものと解するのが相当であり、これを三〇〇万円程度と考えるべきである。
よって、本件車両の保険価額は三〇〇万円であり、これを超過する保険金額の定めは少なくともその超過の限度で保険契約の無効を招来するものである。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
商法六四四条一項は、保険契約を締結するに際して、保険契約者は保険者に対して重要な事実を告げなければならず、また重要な事実ついて不実のことを告げてはならず、保険契約者が悪意または重大な過失によって重要な事実を告げず、または重要な事実について不実のことを告げたときは保険者は契約を解除することができると規定している。問題は重要なる事実とはいかなる事実を意味するのかということであるが、右事実は危険測定に関する重要な事項であると解するのが相当である。というのは危険の発生の蓋然性に関する事実を知らない保険者に反対の事実を信じさせて危険測定を誤らせることが直接に保険者に対して不公正な利益をもたらすことになり、このような不利益を排除することが告知義務の根拠であるからである。
これを本件についてみてみると、本件保険契約において本件車両の用途、車種が重要な事実に該当すると解せられるものの、車両の購入価格がいくらであるかということは直接保険事故の発生の危険性に影響しない事実であり、告知義務の対象となる事実とは認められない。ただ、車両価格が標準価格表に比して著しく低いという事実は、保険契約者が故意の事故招致や保険事故の発生の仮装により不正な保険金支払請求を行う意図を有していることを推測させる事実となり、このことから右購入価格がいわゆる道徳的危険に関する事実となり、これが告知事項に含まれるか否かということが問題となりうるが、道徳的危険に関する事実は、それが、保険契約者の不誠実性を間接的に推認させるものとして、むしろ後に争点2で述べる保険契約の公序良俗違反の判断の一要素となるものと解すべきであり、告知事項とは別個のものであると解するのが相当である。
以上からすると、本件車両の購入価格は告知事項に含まれない事実であり、仮に、原告においてこの告知がなかったとしても、それをもって、被告が本件保険契約を解除することはできない。
二 争点2について
保険事故によって保険者が支払うべき被保険利益を金銭的に評価した額が保険価額であり、この価額と保険金額との間に著しい差がある場合(もっとも、本件においては、保険価額と保険金額が一致しない場合であるかどうかが問題になっているので、仮に不一致があるとして、)において、右事実とあいまって、保険者が被保険利益を大幅に越える保険金を不正に取得する目的で保険契約を締結したことが認められるときには、右契約は公序良俗に反し、無効となると考えるべきであり、従って、保険価額と保険金額との差が著しいことのみをもって、保険契約が公序良俗に反するとまで判断すべきでない。これを本件についてみてみると、仮に被告が主張するように、保険金額と保険価額に差があったとしてもそれはせいぜい二倍程度であり、これに加えて、本件車両が併行輸入車であるとか、保険事故の発生それ自体に疑問がある等、原告において、保険金を不正に請求する目的があると疑わせることを認めるに足りる証拠はないのであるから、右事実をもって、直ちに本件保険契約が公序良俗に反して無効であるとはいえない。
三 争点3について
本件保険契約には車両価額協定保険特約が付帯されているから、原告と被告とが本件保険契約を締結した段階において、右特約にもとづいて、本件車両の保険価額は標準価格表にもとづいて算出され、それが協定保険価額として決定されるから、本件保険は評価済保険である。
しかし、保険事故発生後保険者が商法六三九条によって、填補額の減少請求をした場合において、協定保険価額の拘束力がなくなり、保険価額について、損害発生の地及び時を基準とするという原則に戻ることとなると解するのが相当である。ただ、その場合においても保険価額に比して保険金額が著しく過大であるということを保険者において主張及び立証すべき責任がある。
これを本件についてみてみると、被告は保険価額が三〇〇万円であるとして協定保険価額が著しく過大であると主張し、その根拠は車両購入価格が三六五万円(うち、車両価格が三二八万円)であり、保険事故は車両購入後五ヶ月程度しか経過していない時に発生していることをあげているが、中古車市場における中古車の価格は売主と買主の関係やその他様々な事情によって決定され、それが中古車自体の経済的価値と等しいかあるいはそれに近いとは必ずしも言えず(甲一〇)、結局被告は協定保険価額が著しく過大であることの立証には成功しておらず、少なくとも超過する一部について本件保険契約が無効であるともいえない。
第四 結論
以上から、被告の抗弁はいずれも理由がなく、原告は被告に対し、本件保険契約の車両保険金及び臨時費用保険金の合計八一〇万円及びこれに対する保険事故発生の日の翌日である平成八年一二月二七日(弁論の全趣旨)から支払済みまで商事法定利率年六分の割合の遅延損害金、九万円の代車等費用の保険金及びこれに対する弁済期後であることが明らかな訴状送達の日の翌日である平成九年五月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の請求権がある。
弁護士費用については、右保険金の合計八一九万円の一〇パーセントの八一万円が被告の債務不履行に基づく相当因果関係にある損害と認められ、原告は被告に対し、八一万円及びこれに対する弁済期後であることが明らかな訴状送達の日の翌日である平成九年五月一五日から商事法定利率年六分の割合による遅延損害金請求権がある。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官今中秀雄)